【低脂肪、高タンパク】茹で鶏のサルサソースかけ。
筋肉をサポートしてくれる栄養素は、タンパク質、ビタミンB6、亜鉛、炭水化物、ビタミンD、ビタミンB1+アリシン、ビタミンB2、カルシウム、鉄、です。
- ビタミンB6 食品中のタンパク質からエネルギーを生産したり、筋肉や血液などが作られたりするときに必要。
- 亜鉛 不足すると体のエネルギーが生み出しにくくなり疲れやすくなる。筋組織の回復が遅くなり筋トレの効果が出にくくなる。
- 炭水化物 エネルギーになる。不足すると、肝臓や筋肉の中に蓄えられているグリコーゲンを分解する。それにより筋肉が減少してしまう。
- ビタミンD 筋肉や骨を強化する。
- ビタミンB1 糖質からエネルギーを生成してくれる。
- アリシン ビタミンB1はアリシンと一緒に摂ることで、さらに疲労回復効果が得られる。
- ビタミンB2 タンパク質、脂質、糖質の代謝。乳酸などの疲労原因物質をとってくれる。
- カルシウム 筋肉のスムーズな働きを助ける。精神的なストレスの緩和などにも効果あり。
- 鉄 体内に酸素を運び、疲れやすさをとってくれる。
筋トレの効果をあげるために、それらの栄養がある食材を組み合わせて作りました(*´ω`*)
茹で鶏のサルサソースかけの作り方。
2枚で290gの小さめの胸肉しか売っていなかったので2枚で作りましたが、普通サイズの胸肉なら1枚で十分だと思います。
材料 1人分
- 皮なし鶏むね肉 2枚(290gくらい)
- 水 500ml
- 料理酒 大匙1
- 粗塩 小匙1(普通の塩でも大丈夫です)
- パセリ 小さいの2本
- 玉ねぎ 1/4個
- 舞茸 20g
- トマト 小さめの1個
- 刻みピクルス 大匙2
- ケチャップ 大匙2
- 唐辛子の粉 小匙1/4
- ブラックペッパー 少々
作り方
鍋に、鶏むね肉、水、粗塩、料理酒、を入れて中火にかけます。沸騰したら弱火にして5分煮て火を止めます。
隙間が出来ないようにアルミホイルをかぶせて、そのまま冷ましておきます。
タッパーに細かく割いた舞茸をいれて蓋をして、500wのレンジで1分加熱します。
トマトは、ヘタの部分にフォークを刺してプチッといって皮がはじけるまで全体を火であぶります。
火であぶったトマトを水で洗って皮をむきます。するっとむけます。
むけたら、7mm角切りにします。
パセリは、茎から葉だけをとって細かく刻みます。
玉ねぎは、細かく刻みます。
舞茸が入ったタッパーに、トマト、パセリ、玉ねぎ、刻みピクルス、ケチャップ、唐辛子の粉、ブラックペッパー、を加えて混ぜ合わせたら蓋をして冷蔵庫に入れて冷やしておきます。これでサルサソースの完成です。
冷ましておいた鶏むね肉を鍋から引き上げて、食べやすく切ります。
お皿に盛りつけて上にサルサソースをかけたら完成です。
とっても美味しいです(*´ω`*)
キムチともち麦ご飯も一緒に食べました。
煮汁はペットボトルなどに入れてとっておくと後で料理に使えるので便利です。冷蔵庫に入れて保存します。
- タンパク質→鶏むね肉
- ビタミンB6→鶏むね肉、パセリ、トマトなど
- 亜鉛→鶏むね肉、パセリ、など
- 炭水化物→ご飯、トマト、など
- ビタミンD→舞茸
- ビタミンB1+アリシン→玉ねぎ
- ビタミンB2→鶏むね肉、パセリ、など
- カルシウム→パセリ、鶏むね肉、トマトなど
- 鉄→パセリ、舞茸、鶏むね肉、など
私が作る「筋力トレーニング応援レシピ」は、コチラから見れます。↓
筋力トレーニングを応援 カテゴリーの記事一覧 - くまさんの健康ひとりご飯
勘違いと取り越し苦労した話。
スーパーへ行って買い物をしてレジの行列に並んでいた時の話です。
日曜日だったので、レジがすごく混んでいました。私が並んでいるレジの状況は、清算中の女の人→そのすぐ後ろに並んでいる女の人→その後ろに並んでいる男の人→その後ろに並んだ私→後からきて私の後ろに並んだ女の人という具合でした。みんなカゴいっぱいに買っていました。
清算中だった人の会計が終わって、次に待っていた女の人の会計がはじまりました。ソーシャルディスタンスがあるので、みんな決められた距離をとって並ばなくてはいけないため私の前に並んでいた男の人は決められた線のところまで進みました。私も空いたスペース分進みました。男の人がレジのすぐ後ろに立っていて、通路を挟んで私が立っているという図でした。人がたくさん並んでいるレジ周辺の通路をわざわざ通る人は少なかったけれど、たまーに通り抜けていく人もいました。
その時でした。おばあちゃんがキョロキョロしながら歩いてきて私の前でとまりました。(男の人と私の間。通路の真ん中くらいです)ゆっくり歩いてきて通り過ぎようとしているだけかな・・と思っていましたが、30秒くらい経っても歩き出す気配はなくて、おばあちゃんはレジの方向へ体を向けて立ったままでした。
あれ?もしかして通り過ぎようとしているわけではなく、私の前に並んでいるのかな。人が多すぎて最後尾がわからなくなっちゃったのかな、と思いましたが、おばあちゃんに声をかけるべきかかけないべきか悩みました。なぜかというと足を悪そうにしているおばあちゃんに声を掛けて後ろに並びなおして貰うのは大変かなって思ったからです。私一人だったらそのまま先に行かせてあげてもいいかなって思ったけれど、気になったし、もしかしたら私の後ろに並んでいる人はそうは思わないかもしれないし、私が黙っている事でもしかしたら不快な思いをさせてしまうかもしれない、と思ったので声をかける事にしました。
でも、いざ声をかけようとしたら、今度はなんて声をかけたらいいのか迷ってしまいました。見た目はおばあちゃんでしたが、見ず知らずの人からいきなり「おばあちゃん」だなんて呼ばれて嬉しい人はいないと思うし、逆の立場だったらそれが単なる「呼び名」だとわかっていても気持ちの良いものではないだろうなって思いました。「あなたのおばあちゃんになったつもりはないわよ」みたいな。。
相手はそんな事は気にしないかもしれないけれど、嫌な思いをさせてしまうかもしれないって考えたら、なんて声をかけようか悩んでしまいました。そもそも、こんなに人がたくさんいる場所で自分よりも年上の方に(もしも並んでいるのだとして)「そこは最後尾ではないですよ」と伝えようとしているのだから、相手に恥をかかせてしまわないように言葉選びは慎重にしなくてはいけないと思ったけれど、考えれば考えるほどなんて言えばいいのか迷ってしまいました。そして、悩んでいる間に気付いたらもうそろそろ会計が終わりそうになっていました。それを見て焦った私は、早く言わなくちゃ・・!とまだ考えがまとまってなかったけれど思い切って声をかけました。
「あの、この列の最後尾はここじゃなくてあそこなんです」と最後尾の方を手で示して伝えました。さんざん呼び名で悩んだ挙句、とっさに口に出たのは「あの」でした(笑)
すると、おばあちゃんは言いました。「え?なんだって?」って。声が小さすぎて聞き取りにくかったみたいだったので、今度はもう少し大きめな声で伝えました。そうしたらなんと「私は並んでないからいいよ」と言いました。
「そうなんですね!すみません!勘違いしてごめんなさい!!!」
とすぐに謝りました。申し訳なかったです。思い違いをして声をかけてしまった自分が恥ずかしくて顔から火がでそうでした。おばあちゃんはそのまま歩いて行きました。
たぶん、足を悪そうにしていたので私の前でとまって休んでいたのかなって思いました。それなのに私ったら!! (+_+)
家に帰って落ち着いて自分自身の言動を振り返ってみたら、自分の勘違いと取り越し苦労っぷりがもうなんだか、私だなぁ・・と思いました。書き出してみて改めて、あの数分という短い間によくもまぁこんなに沢山のことを考えたなって自分で自分に思います。
私は子供の頃から目の前で起こった状況に対して「こう見えているけれど本当はこうかもしれない」とか「そうしているのはそうしているだけの〇〇さんの事情があるのかもしれない」とかっていう風に目の前で起こっている事以上のことを深く考えてしまう癖があります。それは育った環境のためや私自身がHSP気質持ちだからかもしれません。今回のことでいうと、おばあちゃんが前に立っただけなのに「人が多くて最後尾がわからなくなっちゃったのかな」とか「足が悪いから休んでいるのかな。並んでいるとしてもこのままにしてあげた方がいいのかな」とか「後ろの人に嫌な思いをさせてしまうかもしれないから私が言わなくちゃダメかな」とか、相手に頼まれもしないのに周りの人の気持ちを先読みして考えてしまいました。しかも、一度考え出すと自分がなんとかしてあげなくちゃいけないような気がして、そこにいる間中その考えに囚われてしまいます。(実際には気がするってだけで私が何かする必要はない場合の方が多いってことはわかってるんだけれど、思考がとまらなくなってしまうんです)
それから要件や気持ちを伝えようとする時に「こんな言い方したら相手は嫌な気持ちになるかもしれない」とか「どんな言い方だったら相手を嫌な気持ちにしなくてすむかな」とかって勝手に悩んで考えて自分のなかで問題を大きくしてしまう癖もあります。これも今回のことでいうと「おばあちゃんって呼ばれたら嫌な思いをさせてしまうかもしれない」とか「人がたくさんいる場所で年上の方に伝えるのだから、もしかしたら相手のプライドを傷つけてしまうかもしれないから慎重に言葉を選ばないと。声も小さめの方がいいかな」とかって考えました。言いたいことがあればサクッとサラッと言えばいいのに・・って自分でも思うけれど、その時はそのサクッとサラッがでてこないんです。1人で頭の中で考えているだけで見た目からはわからないので、たぶん、誰も私がこんな風に考えているとは思ってもいないと思うけれど。
一見めんどくさい考え癖のように思えますが、今はこんな自分の考え癖を嫌だとは思っていないし、負担にも感じていません。むしろ、この考え癖のおかげで人の為になれたこともあったので、良い部分ばかりではないけれど全てが悪いとは思っていません。けれど、以前までの私はそんな自分のことが嫌で嫌でたまらなかった時がありました。どうしてかというと、人に親切にすることを自分の義務や責任のように感じていたからでした。自分を犠牲にしてでも人に親切にしなくてはいけないと思い込んでいたんです。この考え癖とセットで自分を犠牲にしてでも人に親切にしなくてはいけないという考え癖(我慢する考え癖)を持っていた頃は辛かったし、気質からくる考え癖自体を負担に感じていました。例えばその頃の私は、本当は嫌で嫌でたまらないと思っている事でも「〇〇さんが困っているかもしれない」と思ったら少し無理をしてでも自分からすすんで「私がやるよ」と言ったりしていたし、引っ越し&退職しなくてはいけなくなるくらい執拗に付きまといや陰湿な嫌がらせを受け続けていたのに自分に対して嫌がらせをしてくる相手の事情や心の闇などを勝手に想像して「今は耐えて相手にも普通にしていよう」とか考えてそうしていました。いま思えば、そんな風に自分のことを蔑ろにしておいて自分や周りの人を幸せにできるって思ったの?って感じですが、当時の私にはそれがわかりませんでした。
勝手にいろいろな事を深く考えてしまう性分ってだけで特別親切な人ってわけでもないのに、周りの人のためになると勝手に思いついた内容を言動にうつさなければいけないと自分に対して無理強いしていたので、言動にうつした時に相手が自分が想像していたのと違う反応をしただけで裏切られたような気持になって悲しくなったりしていました。そして、そういうことを続けていくうちに自分の心が限界に達してしまいました。自分のなかで人間関係の基盤のようにしていた考え方だったので認めたくはなかったけれど、その時にそれまで信じて疑ってこなかった「根から悪い人はいないし、人に親切にすることは良い事だ」という自分の考え方に疑問を持つようになりました。その時は、そもそも私がそれまで思っていた親切って一体なんだったんだろう・・って思えしまって、自分のなかで人間関係の基盤のようにしていた考え方がガタガタと崩れてしまって、この先どんな風に人と接していったらいいのかもわからなくなってしまっていました。人に対してそれまで通りに接することができなくなってしまいました。
その頃に友達から「くまさんは偽善者だよ。自分が嫌われたくないだけだよ。本当に優しい人は途中で態度を変えたりしないよ。くまさんは本当は冷たい人だし不誠実だよ」と言われました。普段から「くまさん、気を遣わなくていいよ。必要以上に気を遣って言いたいことを言わない方が不誠実だよ」って言ってくれていた友達の言葉だっただけにその言葉は、ものすごく私の心をえぐりました。でも、その通りで偽善者だと思われたとしても仕方がないなって思いました。
それからすぐには気付けなくて気づくのにすごく時間がかかりましたが、その言葉のおかげで気づいたことがありました。それまでの私は分け隔てなくどんな人に対しても親切にしていれば温かい気持ちが伝染しあってみんなハッピーになれると考えていたので、人から嫌われたくないし人のことも嫌いになりたくないと考えていたのもあって必死に頑張ってそうしていたけれど、嫌がらせは終わらなかったし、むしろエスカレートしていきました。あと、自分の今までの友人関係などの人間関係を振り返ってみてもみんなががみんなではありませんでしたが、頼まれてもいないのに勝手に先読みして自分が周りの人の気持ちを気に掛けてしまっていたことで、だんだんと周りの人にとってそうされることが当たり前になっていって、頑張り続けて心が疲れてしまってそれが出来なくなってしまうと相手をガッカリさせてしまったり怒らせてしまったり、または私自身が相手の事を苦手になってしまったりして、親しくなるどころかなんとなく疎遠になってしまうことが多かったことに気付きました。友達は対等なはずなのに知らないうちに精神的な上下関係ができあがっちゃって、相手が上で私が下になるような感じになることが多かったです。その頃に受けていた嫌がらせ以外にも過去に意地悪な人にターゲットにされて意地悪をされ続けたこともありました。そうなっていたのは、それもこれも全部自分の中にあった「我慢する考え癖」のせいだったことに気付きました。そして、この我慢する考え癖は、それまでの私の人生にはなくては生きてはこれなかったものだから身に着いていた考え癖ってだけで、これから先の自分には要らないなって思うようになりました。
私にも悪いところはありましたが、その頃、そう言ってくれた友達ともその後だんだん目に見えない上下関係みたいなものが出来てしまいました。はじめは気づかなかったけれど、あれ?これって自慢話を聞かされているのかなと思うことが増えていって(聞いてもいないのに自分がいかに仕事が出来て高給取りで周りの人に慕われているか、などの内容のエピソードが幾つかあって、それらを話すたびにローテーションで何度も話聞かせれました)、しだいに友達なのに対等とは思えない態度でキツイ言葉を言われることが多くなっていきました。「そういう言い方は傷つくよ」と伝えてもわかって貰えなくて「本当の事じゃん。ならしょうがないね。好きにすればいいよ」みたいな突き放すようなキツイ言葉が増えていきました。友達と違う意見を少しでも口にすると「くまさんのために言うけれどさ」と前置きをしたうえで私の内面を否定するようなキツイ言葉が結構な時間マシンガントークで返ってくるようになりました。そのなかで「くまさんが私の部下だったら、こんな使えない部下はいらない」というようなことを言われた時に上下関係を強く感じて「私たちは友達じゃなかったの?私は部下じゃないよ」というと「部下だったらって言ったじゃん」と言われました。「くまさんの為に時間をつくって言っている」と言われるとそうなのかなって思って申し訳ない気持ちになったけれど、だんだんとその友達といると疲れるようになってしまいました。私も感情的になって伝えてしまったのも悪かったですが最後には喧嘩のようになってしまい「これが私だし口が悪いのが私だから、それが嫌ならしょうがない」と言われてしまって辛くて耐えられないと感じたことと、同時期に他にもいろいろな事が判明してはじめから友達だと思っていたのは私だけだったことがわかったので疎遠にしましたが、変わるキッカケになった言葉を言ってくれたことには今も感謝しています。
こんな感じなので私には友達とよべる人は少ないんですが、けれど、自然と私の周りには人によって態度を変えたりしないで自分の自尊心を他人を利用してあげようとしない心の優しい人が残ってくれたので、そこの部分は本当によかったなって思っています。
今もこんな風に日常のなかで考え癖が顔を出しますが、自分の事も大切にしたいと思うようになったので、本当に本当に嫌な事とかやりたくないと思ったことはしないし言わないし(今回は私も気になったので声をかけましたが)、相手のお節介になって迷惑をかけてしまったり、相手から「お節介だよ」と言われて自分が傷ついてしまわないように、相手は本当に困っているのか、本当に私の助けが必要なのか、私じゃなくてもいいんじゃないかな、っていうように言動にうつす前に考えるようにしています。それから、人の親切に付け込んできそうな関わったら明らかにめんどくさくなりそうな人に対してもスルーできるようにもなりました。自分の気持ちに素直になって避けるべきところは避けるようにしたら、相手が自分の想像していた反応と違う反応をした時も素直に受け入れることができるようになりました。ここでいう受け入れるというのは、そのままを受け取るという意味であって受け入れがたい事を言われてもNOを言わないっていうわけではないよ。そして、ちょっと空回り気味な私こそが私なんだなぁ・・と思えるようになれたら、自分に無理強いをしていた頃に比べて人間関係で酷く疲れることが減りました。
私は辛い時こんな風に考えています。↓
辛さから抜け出すための考え方 カテゴリーの記事一覧 - くまさんの健康ひとりご飯
まとめというか一言
このサルサソースはパスタやパンにも合います(*´ω`*)