くまさんの健康ひとりご飯

ある大きなストレスを受け続けたことで自律神経が乱れ、その流れで婦人疾患にかかりました。婦人科に通院しながらそれまでの環境を変えて、自炊を習慣にし、食や栄養素について独学しています。食を通して「栄養を摂る事」と「考え方」と「自分を大切にする事」の大切さを知りました。そうしたらストレスの後遺症となんとなく続いていた体調不良が治り、婦人疾患も良くなってきています。このブログは、そんな私の毎日の食事記録です。

【簡単レシピ】炊飯器で手羽先と大根のトロトロ煮の作り方。初月命日に思う事。

炊飯器に頑張って作って貰った手羽先と大根のトロトロ煮。

手羽先と大根を切って、調味料と一緒に炊飯器に入れてボタンを押すだけの簡単レシピです。炊飯器に頑張って作って貰いました。お箸でつついただけで身がほぐれちゃうくらいお肉がトロトロに柔らかくなります(*´ω`*)

炊飯器で簡単。手羽先と大根のトロトロ煮の作り方。

材料

  • 手羽先 5本
  • 大根 6cm
  • 水 350ml
  • だし昆布 1枚
  • 豆板醤 小匙1
  • オイスターソース 小匙1

作り方

手羽先は、裏側にして真ん中の骨に沿って2本切り込みを入れます。

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大根は、皮をむいて3cm幅に切ります。

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お釜に、手羽先、大根、水、だし昆布、豆板醤、オイスターソース、を入れて調味料を溶かします。炊飯器にセットして炊飯ボタンを押します。

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これで完成です。

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簡単に出来てトロットロに柔らかくって美味しいです(*´ω`*)

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春のパスタと具沢山味噌汁と一緒に食べました。

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完全に皿を間違えました。小さすぎて食べにくかったです💦

 

今までに私が作った「おうちごはん」の作り方は、コチラから見れます。↓

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初めての月命日に思う事。

今から書くことは、私の場合はこんな風に考えて楽になったよ、というだけの話なので、読んでいて抵抗を感じる人は無理に自分と比べたり、当てはめて考えたりしないで欲しいなと思います。自分でいうのもなんですが、ペットロスになる人は真面目な人が多いというので、これを読んで自分を責める材料にしないで欲しいなと思います。私自身も自分の立ち直るスピードが早いのか遅いのかわからないし、こういうことって個人差のあることだと思うので、早いほうがいいとか遅いほうがいいとかもないと思っているし、それにまだ完全に立ち直れたわけではないし。。でも、こんな風な経過を辿って、こんな風に考えて楽になっていったよ、ということをブログに書き残すことで同じように大事なペット(家族)を亡くして辛い気持ちでいる人の何かのヒントになったらいいなと思いました。どんな風に書いていいかわからなかったので、思ったままに書きました。伝わりにくかったらすみません。

 

フェレ君が虹の橋を渡ってからひと月が経ちました。今日は初めての月命日でした。

フェレ君が居なくなってからはずっと悲しみに溺れてしまわないように必死に過ごしてきました。あまり暗いことをブログに書くのはよくないかなと思って控えていましたが、亡くなってすぐに襲ってきた大きな悲しみを抜けたあとは、表面上は普通に生活していたし、普通に笑えていましたが、辛くて苦しくて悲しくて何のために健康でいる努力をし続けなくちゃいけないのかわからなくなって、自分でやると決めた朝散歩がどうしてもできない日もあったし、起きなくちゃいけない時間に布団から起き上がれない日もあったし、ギャバを飲んでも眠れなくて辛い夜はもう飲まないと決めていたお酒を続けて飲んでしまい後悔したりしました。飲んでも余計にネガティブになるだけだったのでお酒はやめましたが、うまく寝付けなかったり、早朝に起きてしまうのがイヤで今もまだギャバに頼って眠っています。

生きることの意味が見出せなくて(心配かけてしまうといけないので書きますが、しにたいと思っていたわけではないです。よりよく生きたいと思えなくなって、楽しさを感じにくくなって、今までは出来ていたけれど、健康になるために努力しようとか、自分の心身を健康に保つために自分の機嫌をとろうとか考えるのに苦労するようになったという感じです)、でも生活は待ってくれなくてやらなくちゃいけない事は毎日たくさんあって、なんだかんだ逞しく生きようとしている自分をなんだかなと思いつつ毎日は過ぎていき、心はどんどんすり減っていってそれまでの全てが変わってしまったような気がしていました。それでも毎日欠かさずにご飯を食べて、その日の自分ができる事を続けていました。

ペットが亡くなったくらいで感傷的になりすぎだよ、と思われる人もいるかもしれませんが、ペットではありません。私にとっては家族です。去年の6月に病気が発覚して以来ずっと自分の事よりも何よりもフェレ君の介護を優先する生活を送り続けてきました。最期の2ヶ月間くらいは昼も夜も関係なく1時間おきに食事を与えていました。そういう無理ができたのは、フェレ君が私にとって大事な家族だからでした。

このひと月いろいろな事を考えました。私の事を育ててくれて亡くなった祖父母のことも思い出しました。悲観的になりすぎて、どうしていつも大切な人は先に居なくなってしまうんだろう、と見送ってばかりの自分がイヤになりました。年齢順なのはわかるけれど。この先もまたこんな辛いおもいをして誰かを見送らなくてはいけない日がくるのかなって考えたら、生き続けていくのがこわくなりました。(しつこいけれど、しにたいと思っていたわけじゃないよ。よりよく生きたいと思えなくなっていた、という意味です)

それから怒りも湧いてきました。自分に対してだけなら良かったんですが、心に余裕がなくて、心配して声をかけてくれた人に対してもイライラしてしまったことがありました。相手に悪気はないし、お門違いな怒りだとわかっていたので抑えましたが、あとで冷静になった時にそんな風にイライラした自分がイヤになりました。

でも、そんな日々を過ごしているなか、ふと、思ったんです。きっとこの辛い気持ちは全てじゃないけれど、私の心の中にもともとあった辛さもあるんだろうなって。フェレ君がそばに居てくれたことで一時的に癒されていた辛さが、フェレ君が居なくなったことで吹き出したのだと思いました。大切な子が病気をしながら一生を生き抜いたというのに、寂しさや悲しさで泣いてばかりいる私は自分の悲しみしかみていなかったんだということに気づいた時にそう思いました。フェレ君に「一緒に過ごさせてくれてありがとう」「楽しい時間をありがとう」と感謝したり「苦しかったけれど頑張ってえらかったね」と言うならわかるけれど、自分の寂しさや悲しい気持ちばかりに焦点を当てて泣いている私はなんでだろうって。なにか向き合うべきものを誤魔化してないかなって。

自分一人では気づけなかった私の中にあって隠されていた大事な問題点にフェレ君が身をもって気づかせてくれたような気がしました。そうは言っても辛いものは辛いですし、寂しい気持ちは寂しいままだけれど。

「もっとしてあげられることがあったはず」って自分の事を責めていたけれど、それだって裏を返せば「もっと一緒にいたかった」と一生懸命生き抜いたフェレ君の寿命に文句を言っているようなもんじゃないか、と思いました。悲しんでいるようで私はひどく自分勝手なことを考えていたんだなって気づきました。前を向けない理由をフェレ君のせいにして、私はフェレ君が居なくなって寂しいから此処に立ち止まっていたいだけなんじゃないかと思いました。こんなことではダメだと思いました。ちゃんと前を向かなくちゃ病気をしながら一生懸命に生き抜いたフェレ君に申し訳ないと思いました。

「フェレ君は病気をしながら一生懸命に一生を生き抜いた。あんなに小さな体で精一杯に頑張った。私も頑張った。フェレ君との時間は本当にあたたかくて幸せだった。私はフェレ君が大好きで、きっとフェレ君も私の事を好きで居てくれていたと思う」これが全てで私とフェレ君の事実だったのに、フェレ君が亡くなったことがショックすぎて「もっとしてあげられることがあったはず。あの時ああしていれば、こうしていれば・・もっと一緒に居たかった。生きていて欲しかった。苦しいおもいをさせてしまってごめんなさい。悲しい。寂しい。辛い。苦しい。なんで居なくなっちゃったの・・」などと後から付け足したのは私で、そのせいでフェレ君が病気をしながら頑張って生き抜いたことを「えらかったね」と言ってあげられる余裕をなくすほど辛くなっていたんだ、ということに気付きました。

フェレ君が虹の橋を渡ってしまってからは泣いてばかりでしたが、介護中のことを思い出した時に少しだけ心が軽くなれたことがありました。ずっと睡眠時間もほとんどとれないなかで他の何よりもフェレ君のことを優先し続ける介護生活は、完璧に出来た出来ないに関係なく普通に考えて物凄く肉体的にも精神的にも負担がかかっていました。その時は無我夢中だったので、疲れを感じることはあっても疲れに浸れる余裕はありませんでした。私はずっと心のどこかで自分自身の全てではないけれど、自分のなかに人よりも極端に弱い部分があるなって思っていたんだけれど、でも、そんな生活をずっとおくれていたということは、私は自分が思っているよりも強い人間だったのかもしれないと思いました。介護中やフェレ君が亡くなってからは自己紹介に書いたことのある過去のトラウマについては、フェレ君の事と比べれば取るに足らない問題のようにさえ思えていました。もちろん相手がした事は人としても法的にも許されない事なのは変わらないし、この先もその人とは一生関わり合いになりたくないと思っていることには変わりませんが、あんなに苦しめられた過去の出来事を取るに足らないことだと思えるくらいフェレ君が愛おしかったんだと思いました。そんなことをふと思い出したときに「大丈夫だよ。お母さんはお母さんが思っているよりも強い人だよ。お母さんは知らないだろうけれど過去の嫌なことを忘れられる強さがお母さんの中にはあるんだよ。僕が一足先にこの世界を卒業したことも、きっとお母さんなら乗り越えられるよ」とフェレ君に言われたような気がしました。自分が悲しみから抜け出したいだけの自分勝手な思い込みかもしれませんが、そう言われたような気がしたとき心がフワッと軽くなりました。

それと同時に介護中、もっとできる事があったかもしれないとずっと思っていたけれど、私もフェレ君もやれるだけの事をやったんだ。あれがベストだったんだ、と初めて心の底から思えました。今までは自分に言い聞かせるための言葉でしかありませんでしたが、しっかりと心の底から納得して思えたら、気持ちがまた少し軽くなりました。実際に当時のことを今振り返って考えてみても、今もう一度あの時と同じ事をしたとして、あれ以上のことが出来たかと聞かれたら出来ないと思いました。介護中は私もフェレ君も常に全力でした。自分の体と心を休めるために病院に預けた日もありましたが、それだっていつまで続くかわからない介護生活に疲れ果てて自分が潰れてフェレ君のお世話ができなくなることがイヤだったからそうしていました。預けている間もフェレ君のことを考えなかった時間はありませんでした。

必死だったからこのひと月はあっという間に過ぎていったように感じます。というか日付の感覚が狂ったような感じだった、といった方が近いかも。フェレ君が亡くなってすぐはこんな風にひと月があっという間に過ぎていくなんて思いもしていなかったのでビックリしたし、そんな自分をなんだかなと思います。でも、きっとフェレ君はわかってくれるだろうなって思いました。

祭壇にいつものように、お水とカリカリと大好きだったダックスープと、今日は特別に大好きなのに病気のせいで自由にあげられなかったバイトをたっぷりお供えして手を合わせました。

「私は至らないところばかりのお母さんだったと思う。ごめんね。でも今もう一度フェレ君と巡りあえてフェレ君が同じ病気になって介護をしたとしても同じようなことしかできないと思う。それくらい私もフェレ君も毎日必死だったしこれ以上ないくらい頑張っていたよね。小さな体で一生懸命頑張っていてえらかったね。ありがとう。もしかしたら私じゃない他のお母さんだったらもっと沢山のことをして貰えたかもしれないし、もっと長く生きられたかもしれないけれど。フェレ君はどう思うかわからないけれど、お母さんはフェレ君と過ごせて幸せでした。ありがとう。勝手かもしれないけれど、フェレ君が生まれ変わったらもう一度会いたいです。めいいっぱい大切にするから私にもう一度育てさせて欲しいです」というようなことを伝えました。

生まれ変わったフェレ君にまた巡り会えたときにフェレ君に安心して過ごして貰えるようにしたいから、ちゃんと前向きに頑張ろうって思えました。いまこんな風に思えたとしても明日はわからないです。きっとこんな風にまだまだ浮いたり沈んだりを繰り返しながら少しずつ浮上して、心からの笑顔でフェレ君とのことを誰かに話す日がくるのかなって思っています。寂しいけれど、日を追うごとに前向きになってこれた自分がいます。

長々書いたうえに何を伝えたいのかよくわからない文章だったと思います。書いている私自身もどう伝えたらいいのかわからないまま書いたので余計にだと思います。すみません。

 

私は辛い時、こんな風に考えています。↓

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まとめというか一言

オイスターソースを入れるだけで味に深みが出て美味しくなります。